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創立記念日(シエナの聖カタリナの祝日)

学校行事・宗教行事

4月28日、創立記念ミサが行われました。

本校の創立記念日はシエナの聖カタリナの祝日です。

カタリナは1347年3月25日、イタリア中部のシエナの町の裕福な染物屋の24番目の娘として生まれました。

父親のジャコモ・ド・ベニンカサも、母親のラバも信心深く働き者で、町の人々の信頼を得ていた。末子のカタリナは非常に愛くるしく、近所でも引っぱりだこだったそうです。

6歳のある夕暮れ時、ドミニコ教会の尖塔の上に、教皇の三重冠を戴いたキリストが玉座にすわり、周囲に聖ペトロ、聖パウロ、福音史家聖ヨハネと白衣をつけた聖人が立っている幻を見ます。この時、キリストは、微笑みながら十字架の印をしてカタリナを祝福しました。

この出現以来、カタリナは前にもまして祈りに励み、苦業を行い、孤独のうちに神と語りたいと望みました。彼女を町の有力者と結婚させたいと望んでいた父母も、遂に折れて、彼女は17才でドミニコ会第三会に入会しました。
神との深い一致のうちに3年間を、沈黙と祈りと苦業の中に過ごした後、主イエス・キリストから使徒職への使命を授かります。

「多くの人々の救いのために、おまえが必要とされている.おまえはもうこれまでの生活様式を捨てなければならない。・・・おまえは、人々の救いのために、生まれた町を捨て、わたしが委託するままに町から町へさすらわねばならない。しかし私は常におまえと共にいる。」

この日から、カタリナは病人を看護し、囚人を訪問し、町の中の党派の争い、教会内部の権力争いの中を、平和の使徒としてかけ回りました。フランスのアヴィニオンに居を定めていたグレゴリオ11世教皇も、彼女の熱誠と炎のような言葉にローマに帰還を決意し、内外からの様々な反対にもかかわらず、遂に1377年、ローマに入りしました。カタリナの生涯における大事業の一つはこれで完了しましたが、しかし、このことはすべての人に支持されていたわけではありませんでした。
1378年、不安定な立場にあった教皇によってローマに呼ばれたカタリナは、教皇を支持するように枢機卿たちを熱心に説得します。そして、最後まで教会のために尽くしたカタリナは、1380年4月29日、33才で神のもとに帰っていきました。

無学な庶民の娘であったにもかかわらず、神の霊に照らされて、教皇をはじめ多くの人に助言し、信念を生き抜いたカタリナは、1970年、リジュの聖女テレジアと共に、女性としてはじめて、「教会博士」の称号で呼ばれるようになりました。

 

カタリナの生きた14世紀はペストが流行し、現代と似ています。わたしたちは、このミサの中でカタリナに倣い、悲しむ人、苦しむ人へ共感する心や奉仕する心を与えていただけるよう、主に願い求めました。