犠 牲 2024年11月
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
(ヨハネによる福音書12:25)
汗もなくアフマドは四歳だった 楠本奇蹄(歌人)
「アフマド」というアラブ圏に多い名前は、イスラエルのガザ攻撃で犠牲者となった子どもたちを代表して詠んだと思われます。多くの子どもを含んだガザでの死者は4万数千人に及びます。いつ、攻撃が止んで日常生活に人間らしさを取り戻せるのでしょうか。
今月の聖句は、「人の子が栄光を受ける時が来た」に続いて一粒の麦について語られています。人の子とはイエスがご自身のことを指していますが、「人の子が栄光を受ける時」とは、イエスの死の時です。実にイエスさまは手足を釘付けにされ、力尽き果てます。しかし、その死はみじめな敗北ではなく、栄光の時です。なぜ死が栄光なのか。その死は「多くの実を結ぶ」ための死だからです。
犠牲には身代わりになることによる不幸や災い、罪と死からの救済、さらには、神と人間との和解という意味があります。また、聖書において、罪は、真の交わりを結ぶように命を創造された神様への裏切りとも捉えられるようです。
本校では10月末、「出愛(であい)」をテーマに、自分との出愛、他者との出愛、神との出愛を通し、ゆっくりと真の交わりについて省察する修養会の一日を過ごしました。
次はガザの詩人、リフアト・アライールの詩の冒頭です。今月の聖句を見たときに詩人の生き方が重なりました。ヘブライ大学で文学を教え、学生が無知から反ユダヤ主義的発言をすると、彼は訂正を求めたと言います。彼は他者の苦悩を知っていたのです。言葉でイスラエルの攻撃に対峙した人として知られています。最期までガザに留まり、絶望でなく救いの神への信頼と愛を謳いました。
If I must die. もし私が死ななければならないのなら
You must live. あなたはかならず生きなければならない
To tell my story 私の物語を伝えるために
豊かな実りのために種の死が不可欠であるように、イエスの死はすべての人のいのちのためなのです。